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裁判の結末

2017年4月、訴状の送付から約10ヵ月が経過。その間に7度の公判が行われ、やっと俺とN氏の会社間で和解が成立した。

原告(俺たち)の訴えに対し、N氏側からの反対弁論が書面で行われ、それに対して原告がその矛盾を指摘して反論を覆すというやり取りが、年をまたいで何度も繰り返された。

俺もそうだったが、「裁判」と聞くといきなり法廷で証言したり、弁護士が相手方を追及したりするということを思い浮かべる人も多いと思う。
しかし現実は違った。俺は一度も法廷に顔を出すことはなかったし、裁判はすべて弁護士の先生にお任せして、公判中も本業の仕事に集中することができた。

とは言え、裁判の期日が近づくたびに俺の心に何かどんよりしたものが重くのしかかってきたのも事実だった。
今回の件に関し、俺の方には一切の非はないものの、次に相手がどんな反論をしてくるのかが気になって仕方がない。
睡眠も浅くなり、食事も美味しいと感じることができくなり、その日を迎えるまで自然と酒の量が多くなっていった。
そして裁判当日、相手が新しく提出する事実とはかけ離れた反論を聞く度に、その論理の矛盾をあぶり出すために記憶を掘り起こし、時にはN氏とのすべてのメールのやり取りをや契約書を見直し、弁護士と相談し対策を考えるということをひたすら繰り返していたのだ。
そうしてそれが一段落するとようやく、次の裁判が近づくまでの間俺は比較的穏やかな気持ちで毎日を過ごすというのが、その10ヶ月の俺のサイクルだった。

相手は俺が手付金の100万円を返金したという事実を盾に、二者間で行われた売買契約の契約解除は合意に基づいたものだと主張してきた。
俺は手付金の返金は脅迫によるもので、契約自体はまだ有効であるという立場を崩さず、違約金の全額支払いを求め続けた。

最終的に裁判所から提出された和解案は、俺の求めた満額からは程遠い金額だった。
しかし俺が和解案を受け入れなければ、裁判は更に続くことになり、今度こそ俺は証人喚問に呼ばれ、裁判の度に大阪地方裁判所まで出向し証言を行わなければならない。
そして最終的に勝訴したとしても、相手の会社に満額の支払い能力があるのかどうかはまた別の話しであった。
これ以上時間と労力を使って裁判に勝っても、相手が会社を畳んでしまえば、俺の受取る金は結局ゼロになってしまうのだ。
弁護士と慎重に話し合い、俺はこの和解案を受け入れることにした。
N氏側もそれに同意し、この件はこれではっきりと白黒がついた。
相手がある程度非を認めたことで、俺の心も少しはスッキリした。
そして今後N氏と取引する真面目な投資家が、俺と同じような被害に遭わないように願うばかりだ。

手に入れた和解金から裁判費用を引くと、手元には数百万円が残ったが、俺は手放しで喜ぶことはできなかった。
これでは大阪の売却時に出たマイナスの金額にはまったく届かず、相殺すると計算上は全部消えてしまう金だ。
しかも今回得た和解金は、一時所得として本業のサラリーに上乗せされ、高額な税率での税金も支払わなければならない。
そう考えると、訴訟により俺が得たものは「お金」ではなく「貴重な人生経験」と言っても過言ではないだろう。
俺だってまさか自分が訴訟を起こすことになるなんて、数年前には夢にも思わなかった。

今すべてが終わり振り返ってみると、俺一人ではなにもできなかった。
でも俺には寄り添い、励まし、勇気づけ、サポートしてくれる多くの仲間たちや、強力なブレーン達がいた。
みんなのおかげで俺は立ちはだかる困難な道を切り開き、やっとここまで来ることができた。
辛い日々だったが、無駄ではなかった。この場を借りて、支えてくださった方々にお礼を言いたい。

ありがとうございました。

今俺ができる恩返しは、自分の身に起こったことを忠実にここに書き留めることだと思う。
そしてこのBlogを読んだ人たちが、何かを感じ取りそれを将来に役立ててくれれば、俺は最高に嬉しい。

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